イタリア移住を決める前に知っておくべきイタリア生活の現実

イタリア在住者が綴るイタリア生活。イタリアで生活すると日々こんなことが起きます。

カテゴリ: 怒涛の夏2022

涼し〜い山とイタ夫無しのストレスフリーの生活のお陰で、めまいが無くなり、夜も睡眠薬を飲まずに眠れるようになりました。

ところが、山から私達の住んでいる湿度と気温の高い街へ戻った途端、めまいが又復活してしまいました。(以前ほど酷くはなく、無理せずになら家の事はできたので良かったです)

やはり、私の身体って夏も冬も湿度に色々影響受けてるみたいです…
過去記事↓


あと、イタ夫からの精神的なストレスも…

でも、症状はかなり軽減して、少しずつパソコンやスマホも使える様になりました。症状が酷かった頃は画面をスクロールするだけでめまいが起きて、全く使えない状態でしたから…

結局、今回の体調不良は、新しい仕事のストレス、仕事掛け持ちの疲れ、暑さ(今年は春から一気に真夏の様な気温変動で身体がついていけなかったのか?夏バテとか熱中症みたいな症状出てました)、母親の心配、コロナで日本にずっと帰れなかった為のホームシック、更年期、イタリア生活やイタ夫からのストレス、これらがいっぺんに重なって起きたのかなぁと自分なりに思っています。

9月に耳鼻科でめまいの検査をしたところ、左耳に平衡感覚の乱れの原因があると診断されました。そして、処方されたサプリを3〜4ヶ月間服用して、その後に再び別の検査をする様に言われました。でもとにかく、長期間悩まされていためまいの原因が分かって良かったです。

今は、もうすっかりめまいも無くなり、睡眠薬も抗うつ剤も服用していません。耳鼻科で処方されたサプリのみです。

IMG_7216

実は、5月末にパニック障害を起こす直前、もう私の心はいっぱいいっぱいでした。イタ夫に相談したくても、何度も同じことを愚痴るとイライラして逆ギレされるのが目に見えていたので、家の中では誰にも気持ちを話せず、ここでの友人達も仕事や子育てで忙しいので遠慮してしまい、唯一、話せていたのは日本に住んでいる友達ひとりだけでした。

鬱病の症状なのか、私の抱えている問題から逃げ出したい、楽になりたいと、いつも自傷行為ばかり考えていました。あと、ビートルズの「Yesterday」がしょっちゅう頭の中で流れていました。
ここの歌詞→ ”yesterday all my troubles seemed so far away”

今回、こんなに様々な症状が出て心身ともに体調を崩したのは人生初でした。今、振り返ると自分でも驚きます。まさか自分にこんなことが起こるなんて。自律神経失調症や鬱病は誰にでも起こり得ることなんだなと。人って想像よりも強くなれる反面、こんなにも簡単に弱くもなる、脆いものなのだなと痛感しました。


今回、私の体調のことを、周りの人達が心配してくれてとても有り難かったのですが、その人達は良かれと思って声掛けしてくれたことが、私にとってはプレッシャーになって逆効果だったことがありました。

それは睡眠薬を服用していた時、数名から(イタ夫含む)「睡眠薬を飲み続けると、そのうちそれ無しでは眠れなくなるから、飲まない又は量を減らした方が良いよ」と言う、彼らからのアドバイスでした。

私はそれを聞き、不安になり、週末に何度か睡眠薬なしで寝ようと試みるも全く入眠できず、気は焦るばかりでどんどん時間は過ぎ、翌日寝不足で使い物にならないという悪循環に陥りました。(実際に中毒になってしまう方もいらっしゃるので、注意してくる彼らの気持ちも理解できますが....)

その後、ホームドクターにそのことを話すと「睡眠薬できちんと眠れているのなら、眠れないよりも身体が楽なのだから飲み続けていれば良い」と物凄く単純明快な返答をくださり、お陰で安心して服用を続けられました。結果、私の場合は幸いにも焦る必要など無く、時が経つに連れて自然と睡眠薬なしで眠れる様になったので、ホームドクターの適切な助言に本当に感謝です。

もし皆様の身近に精神的な理由で、不眠症、自律神経失調症、鬱病などで通院していたり、薬を服用している方がいましたら、良かれと思って言っているアドバイスが、実は当人には逆効果という可能性もあるということを知っておいて頂けたらと思います。

振り返ると、体調を崩したお陰で、健康の大切さ、周りの人達や小さなことへの感謝の気持ちなど、色々と気付かされ、学ぶことができたので、これは私にとって必要なことだったのだと今は思っています。

これで、怒涛の夏2022シリーズを終わります。読んで頂いてどうもありがとうございました。

季節柄、皆様もお身体ご自愛くださいませ。


自分の体のことを優先的に考えて、5月末で午後の仕事を辞めました。

そして、ホームドクターを通して、婦人科、心電図、耳鼻科の予約をしましたが、イタリアなので、そんなに簡単にすぐに予約は取れず、体調不良の原因がはっきりと分からないまま、ひと夏を療養に費やしました。

私達の住む猛暑の町から逃れる為、6月と7月に約1週間から10日間ほど山に滞在しました。

IMG_7034
ハイジが住んでそう。

私達の住む町では、7月には何と最高気温44℃!の日もありました。私達は運良くちょうど山に滞在中で良かったです。


5月末に仕事を辞めた後、夜眠れるかと期待していましたが、相変わらず眠れず、睡眠薬を服用し続けていました。
そして、めまいや不安感も続いていたので、抗うつ剤も継続。
更に、婦人科受診後、サプリメントを3ヶ月間服用する様に処方され、それも加わりました。

山滞在中の週末は、イタ夫のバイク友達3、4名も加わり、一緒に借りたアパートをシェアしていたので、マイペースにのんびり過ごせず、ちょっときつかったです。

でも、週末以外はイタ夫もバイク友達らも仕事でいなくなり、私と息子とワンコだけの100%マイペース。特にあれしろ、これしろとうるさいイタ夫がいないと言うことは、もし夜眠れなかったとしても、昼間何もせずにいられるので、睡眠薬を飲まない様にしてみたら、徐々に眠れる様になりました。やっぱりイタ夫からのストレスもかなり影響あるのだと痛感した次第です。

気温も低く、マイペースな生活、イタ夫無しのストレスフリーのお陰で、山滞在中の後半はめまいもなくなって来ていました。

つづく。


5月中は、睡眠薬と抗うつ剤を服用しながら、何とか仕事へ行っていた。
今年は例年にない猛暑で5月から既に真夏の様な暑さで、食欲は全くなく倦怠感は半端なかった。

それでも午前中の仕事は、人間関係も良好で気分的には楽だった。反対に午後の仕事へ行くのは憂鬱で仕方なかった。
体調は絶不調だったけれど、代わりの人がいない時は、無理してでも仕事へ行っていた。

そんな中での午前中の仕事の最終日。
その日も体調がとても悪かったけれど、何とか仕事を終え、何とか家へたどり着いた。

その日はイタ夫は家にいて、外が暑かったのでシャワーをするよう促された。
言われるがままシャワーをして、アイスノンで頭を冷やしながらベッドで横になっていた。

そして、用事があって寝室からリビングルームにいるイタ夫を呼んだけれど聞こえず、仕方なく起きて話しに行くと、突然、めまい、動悸、手足の痺れ、冷や汗などの症状が一挙に襲い、呼吸も激しく、立っているのが困難になった。すぐにベッドへ戻り、イタ夫に午後の仕事先に欠勤の連絡を入れる様頼んだ。

IMG_7285

しばらく横になって落ち着いた後、これはもしや「パニック障害」なのではないか?と検索してみると、やはりそのようだった。生まれて初めてのパニック発作に呆然として、一体私の身体に何が起きているのか?とすごく不安になった。そして、今後、再びパニック発作が起きる可能性が大だったので、仕事は続けられない、まず自分の健康を第一に考えなければと痛感して、翌日、電話で事情を説明して辞職した。

つづく。



不眠になり睡眠薬を処方して貰い、眠れる様になった。

ところが、以下の色々な他の症状が出てきた。

動悸
頭部のほてり
手足の痺れ
めまい→回転性ではなく平衡感覚の乱れ
倦怠感
やる気が出ず何もしたくない
不安感
食欲不振


あまりにもたくさんの症状が出て来たので、再度ホームドクターを受診した。

結果、自律神経失調症とうつ病と診断された。

IMG_7278

そして、抗うつ剤を処方された。

睡眠薬と抗うつ剤を服用しながら、4月〜5月にかけて、午前中と午後の仕事を掛け持ちしていた。

当初、イタ夫に5月中だけ、荷物を家の玄関まで届けてくれるから楽だと、友達が勧めてくれたスーパーのオンラインショッピングを使いたいと伝えた所、OKと返事をした癖に、結局自分のクレジットカードを使いたくないと言う理由で、オンラインショッピングは却下され(言うことが自分の都合でコロコロ変わる、正にモラハライタ夫あるある)、勿論イタ夫が代わりに買い出し又は一緒に来てくれるはずなどなく、結果いつも通り私がひとりでスーパーまで買い出しに行くはめに。

口では、大変だったら夕飯はケバブでも買えば良い(しかしイタ夫が買いに行ったことは皆無)、出来合いの物が続いても構わないなどと言っていた癖に、いざ同じ様な物や手抜き料理が続くと文句を言って来た。正にモラハラ夫。

そんな風に口だけ男のイタ夫からのサポートは期待大はずれ。

イタ夫と言う男は、私が体調を崩すと、自分の負担が増えるのが不満で、必ず不機嫌になって八つ当たりとモラハラ攻撃をしてくる。これはもう息子が赤ちゃんの頃から。

しかも、イタ夫は多少の自己犠牲を払ってでも収入が増える方が良しと考える人、プラスうつ病は本人が弱いからなると考えてる人なので(そんなに単純な原因じゃないし、誰にでも起こり得ることなのに)、私の気の持ち様で治るとか私が大袈裟なだけと思っているのが、イタ夫の態度や冷たさから良く分かった。

それでも5月さえ終わればと、薬を飲みながら仕事へ行っていたけれど、ホームドクターから自律神経失調症とうつ病と診断された時点で、午後の仕事の方へは後任の人が見つかり次第、辞めさせて欲しいと伝えた。

そんな中、5月の仕事最終日に決定的なことが起きた。

つづく。





4月中旬から、2つの仕事の研修が始まった。

午前中の仕事は何の問題もなかった。

その反対に、午後の仕事で関わった人達は決して悪い人達ではなかったのだが、最初から波長が合わないなと感じていた。

しかし、慣れて行けば何とかなるだろうと、前向きに考えようと研修を続けた。

その頃、日本の母の具合が悪くなり、食事も食べなくなり、元々細かった母が更に痩せて来ていると妹から連絡を貰った。

母のことが心配でいつも日本行きのことを考えていた。
しかし当時は、まだ新型コロナウイルスの日本政府の水際対策が今よりももっと厳しく、4年振りに母に会いに行きたいけれど、現実的にとても難しいという葛藤に悩んでいた。

・・・そして、間もなく夜眠れなくなった。

研修のない週末なら眠れるだろうと思っていたが眠れず、疲れたら眠れるだろうと睡眠不足だったけれど無理して山登りに行ってみたが、それでも眠れなかった。

入眠できなかったので薬局で睡眠導入剤を買って服用してみたけれど、眠れたのは最初の2〜3時間くらいで、その後は目が覚めて朝まで眠れない日々が続いた。

あまりにも不眠が続いて辛かったので、ホームドクターへ受診して人生初の睡眠薬を服用することにした。

私の睡眠薬のイメージは、朝起きるのがめちゃくちゃ辛そうと長年思っていたけれど、処方された薬は、きちんと一定時間眠れるからか朝すっきり起きられて、運良く私にとても合っていた。

でも、相変わらず仕事の不安、日本の母の心配、ホームシック、イタ夫からのストレスなどは続いていたので、不眠以外の新たな症状が出てきた。

つづく。

このページのトップヘ